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大阪地方裁判所 昭和53年(ワ)5843号 判決 1982年10月27日

原告 新井利諦 ほか三名

被告 日本電信電話公社

代理人 都築弘 幸良秋夫 井筒宏成 風見源吉郎 嶋村源 ほか六名

主文

一  被告が原告奥豊、原告山川正広、原告山崎秀樹に対し昭和五三年七月五日付をもつてなした各戒告処分は、それぞれ無効であることを確認する。

二  被告は、原告新井利諦に対し金一万一三三四円と内金五六六七円に対する昭和五三年一〇月二〇日から、内金五六七七円に対するこの判決確定の日の翌日から、各支払済まで年五分の割合による金員を、原告奥豊に対し金一万三七一二円と内金六八五六円に対する昭和五三年一〇月二〇日から、内金六八五六円に対するこの判決確定の日の翌日から、各支払済まで年五分の割合による金員を、原告山川正広に対し金一万〇二〇六円と内金五一〇三円に対する昭和五三年一〇月二〇日から、内金五一〇三円に対するこの判決確定の日の翌日から、各支払済まで年五分の割合による金員を、原告山崎秀樹に対し金九七五八円と内金四八七九円に対する昭和五三年一〇月二〇日から、内金四八七九円に対するこの判決確定の日の翌日から、各支払済まで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

三  原告らその余の請求はいずれも棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告らの請求の趣旨

1  主文第一項同旨。

2  被告は、原告新井利諦に対し金一万一三三四円とこれに対する昭和五三年一〇月二〇日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告奥豊に対し金一万三七一二円とこれに対する右同日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告山川正宏に対し金一万〇二〇六円とこれに対する右同日から支払済まで年五分の割合による金員を、原告山崎秀樹に対し金九七五八円とこれに対する右同日から支払済まで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

3  主文第四項同旨。

4  第2項についての仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁。

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮に原告らの請求の趣旨第2項につき仮執行宣言が付された場合には担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二当事者の主張

一  原告らの請求の原因

1  被告は、公衆電信業務及びこれに付帯する業務等を行なうため、日本電信電話公社法に基づき設置された公法上の法人である。

原告らは、いずれも被告の職員であり、昭和五三年七月当時、原告新井は、被告の近畿電気通信局大阪南地区管理部に属する岸和田貝塚電報電話局施設部試験課に、原告奥は、同通信局大阪東地区管理部に属する平野電報電話局局内保全課に、原告山川は、同通信局大阪北地区管理部電信課に、原告山崎は、同通信局大阪地区管理部に属する電報電話局局内保全課に、それぞれ勤務していたものである。

2  原告らは、被告に対し、各原告が当該年度において有していた年次有給休暇(以下適宜、年休という)の日数の範囲内で、原告新井は昭和五三年五月二〇日、原告奥と同山崎は、いずれも同月一九日、原告山川は同月二二日につき、それぞれ事前に、年次有給休暇の請求(時季指定)をし(以下適宜、本件年休時季指定という)、適法に年次有給休暇をとつた。

3  しかるに、被告は、原告らが、年休を取得した日に、いずれも無断欠勤をしたとして、原告奥、同山川、同山崎に対しては、それぞれ被告の職員就業規則五九条一、三、一八号に基づき昭和五三年七月五日付で戒告処分(以下適宜、本件戒告処分という)を、また、原告新井に対しては、同日付で文書注意処分をそれぞれなし、かつ、原告らが本来受給すべき同年七月分の賃金から、原告新井については金五六六七円、同奥については金六八五六円、同山川については金五一〇三円、同山崎については金四八七九円を、それぞれ差引いた(以下適宜、本件賃金カツトという)。

4  しかしながら、原告らは右前記各日時につき適法に年次有給休暇をとつたものであつて、無断欠勤した事実は全く存在しないから、被告の右各戒告処分及び右各賃金差引の処置は違法・無効であり、被告は右各差引金員を未払賃金として原告らに支払うべき義務がある。

5  よつて、被告との間において、原告奥、同山川、同山崎は、右各戒告処分の無効確認を、また、被告に対し、右各未払賃金とこれと同額の労働基準法一一四条所定の付加金との合計金として、原告新井は、金一万一三三四円、同奥は、金一万三七一二円、同山川は、金一万〇二〇六円、同山崎は、金九七五八円と、当該合計金に対する訴状送達の翌日である昭和五三年一〇月二〇日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金との各支払を、それぞれ求める。

二  請求の原因に対する被告の認否

請求原因1の事実は認める。

同2のうち、原告らが適法に年次有給休暇をとつたことは争い、その余の事実は認める。

同3の事実は認める。

同4、5は争う。

三  被告の主張

1  時季変更権の行使による年休の不成立

原告らの本件各年休の時季指定については、以下に述べるとおり、原告らが当該年休の時季として指定した日に年休をとつた場合には被告の業務の正常な運営が妨げられる事情が存したので、被告は、原告らに対し、それぞれ時季変更権を行使したから、原告ら主張の日に年休は成立しておらず、原告らには就労義務があつたのである。すなわち、

(一) 原告新井利諦関係

(1) 成田闘争に関連する具体的行動

原告新井は、かねてから成田空港開港阻止行動を行つていたものであるが、昭和五三年二月二七日には「三月開港阻止の戦いがはじまつた」等と題するビラを、同年四月四日には「開港阻止決戦は勝利した。」等と題するビラを、同年四月一八日及び一九日には「百姓を無視して絶対解決しない。治安強化は人民への挑戦である。」等と題するビラを、被告の近畿電気通信局大阪南地区管理部玄関前において配布し、更に、同年五月一〇日には「五・八 三里塚全関西大集会・三里塚空港実力廃港へ大進撃を!」等と題するビラを、同年五月一五日には「刈谷稔君の不当解雇を断じて許さないぞ。」「五・二〇 三里塚出直し開港を打ち砕こう。」と題するビラを、同年五月一九日には「五・二〇 三里塚出直し開港を打ち砕こう。」等と題するビラを、被告の岸和田貝塚電報電話局通用門前において配布していた。

(2) 年休時季指定と塩崎課長らの対応

原告新井は、同年五月一八日、上司の塩崎試験課長に対し、「同月二〇日の日勤を週休にしてほしい」旨申し出たが、同課長がこれを拒否すると、右同日を年休とする時季指定をして年休の申出をした。そこで、同課長は、「土曜日で人が少なく業務上支障があるので時季を変更するよう」話をし、「どうしても二〇日に年休が必要なのか。」と言つたところ、同原告は、「何故理由をいう必要があるのか。」と主張し、また、後に局長からも、同原告に対し、「二〇日は課長から言つたように業務上支障があり、また、君は先日も玄関前で成田空港開港阻止と気勢を上げていた。成田へ行く可能性があるので年休を与えるわけにはいかない。成田へは行くなよ。」と説得した。

(3) 事業の正常な運営を妨げる事情の存在

<1> 原告新井の担務

昭和五三年五月当時、原告新井の所属する被告の岸和田貝塚電報電話局施設部試験課は、同局に収容されている市内外電話回線、電話交換機、電話機等各種宅内機器等に対する保全サービスのいわば窓口であり、その主な業務は、加入者からの故障等障害申告があつた場合の受付、修理手配等故障に関連する諸作業のほか、修理が完了した場合の試験、加入者開通試験、一般の苦情申告受付、料金不払い等に起因する通話停止関係業務及び各施設の定期試験業務を実施していた。右の業務のうち、定期試験を除くものは、電話利用者と直接応対し、障害箇所の発見及びその対応措置等について、迅速さを要請される業務であつて、被告公社の公衆に対する電気通信役務の提供上重要な役割を果たしていた。

更に右のような定常的業務のほかに、異常障害、非常災害の発生に備え、その事態に即応するために平素から必要な資料作成、整備等の業務も行なつていた。

試験課の職員は、二六名で、その構成は、課長一名、試験係長二名、作業主任五名、係員一八名となつていた。

課長を除く職員は、日勤服務を行う者として、第一、第二試験係長二名、作業主任五名、係員六名、計一三名、日勤、宿直、宿明の各服務を順次行い、六日間でこれを循環的に繰り返すいわゆる六輪番の交替服務を行う職員一二名で構成されていた。

原告新井は、右交替服務を行う課員として、加入者からの申告受付、障害修理手配等前記試験課の業務全般を行なつていた。

<2> 業務上の支障

原告新井の本件年休の時季指定にかかる昭和五三年五月二〇日は、土曜日であつて、その日の右試験課の業務には、原告新井を含めた四名の服務が予定されていた。

右四名は、試験課の土曜日の通常の業務を正常に運営するうえで欠くことのできない要員数であり、その四名は、即時作業である障害等申告受付を行なうために常時試験台につく作業、右受付けた申告を処理する作業等に従事する予定であつた。

そのうえ、右五月二〇日当日の同課の業務については、次のア、イ、ウの業務が加わつて、平常の土曜日以上に相当な業務繁忙が予測されていた。

ア 同月一七日ないし一九日の三日間に、料金未払い等による通話停止を約四〇〇件行なつたことに伴なうその解除作業が、右五月二〇日に相当数出ることが予測され、現に、右五月二〇日に行なつた通話停止解除作業の件数は平常日と同程度の三一件もあつた。

イ 同月一八日に発生し未修理のまま翌日に持ち越された障害件数が、平常日は四ないし五件程度のところ約二倍の一〇件に達しており、右五月二〇日に持ち越されるのも相当数生じることが予測され、現に、右五月二〇日に持ち越された障害件数は一一件であつた。

ウ 特別保守体制

右岸和田貝塚電報電話局では、当時、被告の大阪南地区管理部長の指示に基づき、特別保守体制が敷かれていた。これは昭和五三年五月二〇日の成田空港再開港を控えて、過激派が通信設備に被害を与えるおそれがあるためなされたものであるが、同局においては、同年五月初めからの通信設備のある機械室等の出入口の施錠の徹底を図るとともに、五月一七日から二二日までの間、管理者による早朝出勤、泊り込みによる二四時間警備体制をとつていた。

右五月二〇日は成田空港再開港日の当日で不測の事態が起きることが最も懸念される日であり、十分な体制を整えておく必要があつた。

現に、右五月二〇日に所沢で被告の航空管制系統の通信回線(地下ケーブル)が切断され、その情報連絡や対策にも手をとられ、右五月二〇日当日は大変な繁忙を来したのである。

しかも、右五月二〇日の服務予定者四名中一名(中塚)は、当時まだ未熟な見習社員であつた。

以上のとおり、原告新井が本件年休の時季と指定した昭和五三年五月二〇日に、原告新井の服務を欠いた場合には、右試験課の正常な業務の運営ができないことが明白であつたのであり、現に、右五月二〇日には、原告新井が無断欠勤をしたため、塩崎試験課長が自から業務に従事した外、田中機械課副課長の応援を求めて右試験課の業務に従事させることを余儀なくされた。

(4) 時季変更権の行使

以上のとおり、原告新井が年休の時季として指定した昭和五三年五月二〇日は、同原告が年休をとつた場合には、被告の事情の正常な運営が妨げられる事情があつたので、塩崎課長は、原告新井に対し、一八日及び一九日の両日に、原告新井に対し、右年休請求に対する時季変更権を行使した。

(二) 原告奥豊関係

(1) 成田闘争に関連する具体的行動

原告奥は、昭和五三年五月九日、巽電報電話局玄関前において、「三里塚斗争弾圧粉砕 苅谷稔君を救援しよう。」等と題するビラを配布していた。更に同年五月一五日・一八日及び一九日に配布されていた「三里塚芝山空港反対同盟の三つの要求を支持する。」等と題するビラに賛同者として、「全電通大阪東支部平野分会長」を名乗つて投稿し、更にまた、第四インターの機関紙である「世界革命」の中で「関西アピールとして、成田新空港の開港延期を要求し、治安立法に反対する。」旨の記載欄に、賛同者として「全電通大阪東支部平野分会長」を名乗り投稿していた。

(2) 年休時季指定と有末局長らの対応

原告奥は、昭和五三年五月一七日、上司の杉本第一保全係長に対し、同年五月一八・一九日の二日間を年休の時季として年休の申立をしたので、同係長が理由を聞いたところ、「支部主催の運動会準備のためである。」とのことであつた。その後、右係長から年休申し出の内容の伝言を受けた伊藤局内保全課長が、同原告に対し、年休の理由の真為を質したところ、「忙しいので年休を頼みます。」と言つて一方的に電話を切つた。そこで局長が同原告と応対し、「現在成田空港の関係が社会的にも大きな問題になつており、国会においても全会一致で反社会的行為であると認められている。このような行動に参加することは法治国家である以上許されるものではなく、もとより公社職員は遵法の義務があり、成田開港阻止の取組みに参加することは許されるものではない。君は成田関係のビラを配布していたと聞いており、これに関連する行為も懸念されるところである。公社職員としてそのような行動に参加してもらつては困るし、また実際にそのような行動のための年休であれば、局長として年休処理することはできない。」旨の説得をした。

なお、右五月一八日については、その日、同原告が平野電報電話局に出て来て組合業務を行なつており、成田の現地連続闘争に参加する懸念がなくなつたので、被告は、改めてこれを年休として処理した。

(3) 事業の正常な運営を妨げる事情

<1> 原告奥の担務

昭和五三年五月当時、原告奥の所属する平野電報電話局内保全課は、電話交換機等同局局内に設置されている各種電気通信機器に対する保全業務を担当する部門であり、その主な業務は、加入者からの障害申告を受け付け、障害修理手配を行ない、修理が完了したときは、その試験等を行なう「試験業務」、局内障害修理、加入者の住所変更等による局内配線工事等、各種機器等の定期試験等を行なう「機械業務」、局内交換機に対する電力供給機器、空調設備の点検保守等を行なう「電力業務」並びに「構内交換電話設備の保守、検査業務」等のほか、右局内通信設備全体の「保全統制業務」という重要事項を分掌していた。

更に、局内保全課は、右のような定常作業のほかに、異常障害、非常災害発生に備え、その事態に対処し得るように必要な資料作成、整備等の業務を行なつていた。

局内保全課の職員は、五四名であり、課長一名、副課長一名、保全係長(第一ないし第五)五名、作業主任一〇名、係員三七名となつていた。

課長、副課長を除く職員は、日勤服務を行う者として、第一保全係長、同係員、第二、第三保全係長、第四保全係長、同係員、第五保全係長、同係員の計一五名、勤務割方式による日勤、宿直、宿明の各服務を行う交替服務者として、第二、第三保全係の作業主任と同係員の計三七名で構成されていた。

原告奥は、右日勤服務を行なう第一保全係の係員として、障害調書の作成、障害修理等の物品調達、日常作業の工程、及び稼動等の管理業務のほか、給与、旅費及び通勤費の支給業務を担当していた。

なお、原告奥の属する右第一保全係は、右局内保全課にあつては、いわばその総括をつかさどる係であり、構成員は、係長、原告奥、女子職員の計三名であつたが、当時、女子職員が出産による特別休暇中のためその欠務措置として臨時雇を雇用していた。

<2> 業務上の支障

原告奥の本件年休の時季と指定した昭和五三年五月一九日当時は、右のとおり、原告奥の属する第一保全係では、正規の職員による実質的な稼動要員は係長と原告奥の二名であつた。

しかも、当時、大阪東地区管理部管内をあげて、前記特別保守体制を敷いていたのであつて、いつたん不測の事態が生じた場合には、第一保全係の課中における前記総括係的な役割上、同係は、課長の指示の下、所属職員全員に対し、所要の連絡、周知を担当し、右発生の事態に即して適切な措置を講ずるために緊要の地位にあつたものであり、特別保守体制下における第一保全係の右任務は、同係の実稼動要員が右のとおり係長と原告奥の二名であつたことからみれば、そのまま原告奥の担務分掌とされて然るべきものであつたのである。

(4) 時季指定の不承認又は時季変更権の行使

以上のとおり、当時、原告奥の服務を欠いては、右第一保全係及び右局内保全課全体の業務の正常な運営が妨げられる事情があつたから、その上司である有末局長は、原告奥に対し、右年休の申出のあつた五月一七日、右年休の時季指定を承認しなかつたから年休は成立しなかつたし、仮にそうでないとしても、時季変更権を行使した。

(三) 原告山崎秀樹関係

(1) 成田闘争に関連する具体的行動

原告山崎は、昭和五三年四月四日、「開港阻止決戦は勝利した。」等と題するビラを、同月一八日及び一九日には「百姓を無視して絶対解決しない・治安強化は人民への挑戦である。」等と題するビラを、同五月四日には「三里塚闘争弾圧粉砕・苅谷稔君救援会への結集を」等と題するビラを、同年五月一八日には「五・二〇 三里塚出直し開港を打ち砕こう。」等と題するビラを、被告の大阪南地区管理部玄関前において配付していた。

(2) 年休時季指定と土井課長らの対応

原告山崎は、同年五月一六日、土井局内保全課長に対し、同月一八日・一九日及び二二日を年休の時季と指定して年休を申し出たので、同課長は、その場で「公社の信用を失う行為はやめるように。」と諭し、また同一七日にも、成田開港阻止闘争の反社会性を話し、「公社職員がそのような反社会的行動に参加することは公社の著しい信用失墜にもなるし、君自身のためにも心配である。君の今までの行動から見て心配であり、年休を認めるわけにはいかない。」旨の対応をし、同時に局長からも同趣旨の説得があつたが応ぜず、更に、後になつて右局内保全課長から同原告に対して、「年休は認めない。時期変更権ということで出勤してもらう」旨告げた。

なお、被告は、右五月一八日を年休の時季とする指定については、「通話度数増減調査」が同月一七日中に完了したこと及び同原告を戎電々ビル内で見かけて成田へ行つていないことが判明したこともあつて、年休として処理し、また、右五月二二日は同原告は所定の服務どおり勤務した。

(3) 事業の正常な運営を妨げる事情の存在

<1> 原告山崎の担務

昭和五三年五月当時原告山崎の所属する戎電話局局内保全課は、同局局内に設置されている各種電気通信機器に対する保全業務を担当する部門であり、その主な業務は、加入者からの障害申告を受け付け、障害修理手配を行ない、修理が完了したときは、その試験を行なう「試験業務」、局内機器の障害修理、加入者の住所変更等による局内配線工事の実施等、各種機器等の定期試験を行なう「機械業務」のほか、右局内通信設備全体の「保全統制業務」を行なう重要な役割を果たしていた。

更に、局内保全課は、右のような定常作業のほかに異常障害、非常災害発生に備え、その事態に対処し得るように必要な資料の作成、整備等の業務を行なつていた。

局内保全課の職員は、五七名であり、課長一名、保全主幹一名、保全係長(第一ないし第五)五名、作業主任一〇名、係員四〇名となつていた。

課長、保全主幹を除く職員は、日勤服務を行うものとして、保全係長(第一ないし第五)五名、第一保全係の作業主任を含む係員四名、第二保全係の作業主任を含む係員四名、第三保全係の作業主任を含む係員四名、第四保全係の作業主任を含む係員六名、第五保全係の作業主任を含む係員七名及び女子一名の計三一名、日勤、宿直、宿明の各服務を順次行ない、六日間でこれを循環的に繰り返すいわゆる六輪番の交替服務を行なう者として、第二保全係、第三保全係及び第五保全係の作業主任及び係員の計二四名で構成されていた。

原告山崎は、右日勤服務を行う第二保全係の係員として、クロスバー電話交換機等の局内機器の障害修理、加入者の住所変更等による局内配線工事等、各種機器等の定期試験の実施等「機械業務」全般を行なつていた。

<2> 業務上の支障

原告山崎が本件年休の時季と指定した右五月一九日は、成田空港再開港日の前日であり、被告が前記特別保守体制を敷いて警戒していた「不測の事態」の発生する蓋然性は、他の日に比してより高いところ、もし、異常事態が発生した場合においては、同原告を含む局内保全課職員は、公衆電気通信役務の維持に直結する機械業務に率先当たらなければならない状況にあつた。

また、大阪南地区管理部から依頼の「通話度数増減調査」作業を同月一八日までに完了しなければならないという事情もあつた。

(4) 時季変更権の行使

以上のとおり、当時、原告山崎の服務を欠いては、右不測の事態への対処等右局内保全課の業務の正常な運営を妨げる事情があつたので、同原告の上司である土井課長らが、右年休の時季指定のなされた同年五月一六日及び一七日に、右年休の時季指定に対する時季変更権を行使した。

(四) 原告山川正広関係

(1) 成田闘争とのかかわり

原告山川は、昭和五三年五月当時、成田空港開港阻止闘争に取り組んでおり、同闘争に関するビラを、公社内あるいは公社局舎の近辺で二、三回配布するとともに現地闘争にも数回に亘り参加していた。

(2) 年休時季指定と今井課長の対応

原告山川は、昭和五三年五月一九日、今井電信課長に対し、同月二二日を年休の時定と指定して年休の申し出をしたので、同課長は、「当日は職場に残る者が同原告を含め二人となり、業務上支障があるので他の日に変更できないか。」とか、「成田関係でとやかくいわれている日に休む理由は何か。」と話したところ、同原告から、「理由を言う必要はない。」等の応答があり、その後、同課長は同原告に対し更に、「業務上支障があるので年休は認めない。」と告げたところ、了解がなくても休むといいざま立ち去つた。

(3) 事業の正常な運営を防げる事情の存在

<1> 原告山川の担務

昭和五三年五月当時、原告山川の所属する被告大阪北地区管理部電信課は、同管理部管内の電報取扱局(一九局)及び郵便局(二二四局)の電報業務並びに加入電信を取り扱う電報電話局の関係業務について、これが指導、援助並びに管理監督業務を行なつていたほか、自課自体も、固有の加入電信エリヤを有していることから、そのエリヤに関連する業務については直接顧客と対応してこれを行なつていた。

右電信課の職員は、六名、その構成は、課長一名、電信係長一名、係員四名となつており、課長を除く職員は、全員日勤服務となつていた。

原告山川は、右日勤服務を行う一般の課員であり、電報関係業務として、管内全電報取扱局(郵便局を含む。)からの毎月の電報取扱通数の集計、分析及び上部機関への報告、電報業務に関する電話照会に対する回答業務を、また、加入電信業務として加入電信販売速報の作成及び加入電信未設置企業に対する販売勧奨資料の送付等のほか、加入電信の申込等お客からの電話照会に対する回答業務を行なつていた。

<2> 業務上の支障

電信課においては、前述のとおり、平常業務として、電報や加入電信関係の業務についての管内各取扱局及び郵便局との間の電話照会や、事務指導並びに加入電信関係のお客との対応と受付業務があり、これらは即時処理すべき業務であるので、平日は最低二名の要員を配置することが必要であり、現にそのとおりの配置を行なつてきていたものである。

また、同課においては、同月一七・一八日、同月二二日の三日間、特別業務として、管内電報取扱局一九局のうち一八局に対し、業務用物品(慶弔電報の利用案内チラシ等)の配布と管内大岩郵便局の模写伝送機の更改に伴なう実査の業務を予定し、右業務に原告山川と白井社員をあてることとし、出張命令を発出していたが、原告山川が本件年休の時季として指定した同月二二日には、九局につき右業務用物品の配布業務を行ない右特別業務を完了する予定であつた。

右五月二二日には、同課員五名のうちに週休者一名があり、それを除く他の四名全員が出勤して初めて、同課の平常業務と右特別業務を予定どおり遂行できるようになつていた。

したがつて、原告山川が年休をとれば配置人員が三名となり、各業務に支障を及ぼすことは明らかであつた。

現に、原告山川が右五月二二日無断欠勤したことにより、次のア、イ、ウのとおりの業務上の支障が生じた。

ア PR用チラシの配布が予定どおり二二日までに完了しなかつたため、電信課の作業計画がくるつた。

イ PR用チラシが全く底をついていた局(十三電話局)では、そのチラシの送付を受けるまでの間、PR業務ができなかつた。

ウ 今井課長が原告山川の欠勤時の対応に時間をとられたため、二二日の午前中は電報要員削減業務の実施についての関係取扱局への作業指導が遅れ、各局のその要員削減業務に支障を来した。

(4) 時季変更権の行使

以上のとおり、当時、原告山川の服務を欠いては、電信課内の業務の正常な運営を防げる事情があつたので、同原告の上司である今井電信課長は、原告山川に対し、同原告から年休の時季を指定された昭和五三年五月一九日、右年休の時季指定に対する時季変更権を行使した。

(五) よつて、原告らの本件各年休の時季指定については、被告の事業の正常な運営を妨げる事情があり、かつ、原告らの各上司が、それぞれ事前に時季変更権を行使したから、原告ら主張の日については、年休は成立していないのである。

2  権利の濫用

次に、原告らの本件各年休の時季指定は、その行使の時期、意図、態様等からみて、実質的には、(一) 年休制度の趣旨、目的に反する反社会的な行為をするために年休を利用しようとしたものとして、(二) また、被告公社職員に要請される誠実、配慮の義務に著しく反したものとして、(三) 更には、被告公社に対する当時の強い社会的要請に反するものとして、到底許されるものではなく、したがつて、権利の濫用であつて、何の法的効果もないから、原告らの本件各年休の時季として指定した日については、いずれも原告らの年次有給休暇は成立していない。すなわち、

(一) 年休は、労働者が具体的な休暇の始期と終期を特定して指定することによつて、その法的効果が生ずるものであるけれども、その行使が全く無制約ではあり得ないのであつて、その利用目的と年休制度の趣旨、目的、信義則(労働者の誠実、配慮義務)、企業の公共性、その行使が使用者に与える影響等に照らし、権利の濫用と認められる特段の事情が存する場合には、年休の時季指定自体無効なものとして、その法的効果は否定さるべきである。

(二) ところで、年休制度が制定された趣旨、目的は、本来、労働者の労働による精神的肉体的疲労を回復し、その効果として、労働力の維持培養を図るとともに、労働者に人たるに値する生活を得させるところにある。また、年給は、無給を原則とする休日と違つて、その間は、労働した日とみなして賃金を保障し、これによつて労働者の心身両面にわたる積極的な活気を得させるのであるから、有償性という点も、年休制度の趣旨、目的に含まれるものと解することができる。すなわち、労働者は、その年休権の行使については、使用者に対し、右年休の有償性に由来するある程度の配慮をも、要請されるというべきである。

従つて、年休請求における時季指定に関しては、本来、右のような趣旨、目的(労働力の維持、培養、有償性)に由来する内在的制約があり、労働者において、これを右趣旨、目的にそうよう利用すべきである。この意味で、年休請求権は、全く無制約な絶対的権利ではなく、相対的な権利であるというべきであり、右趣旨、目的に明らかに反する意図をもつてなされた年休の時季指定は、もはや権利として法的保護を受け得ず、権利の濫用と評価さるべきである。

(三) 更に、年休の時季指定に関しては、その権利行使に当つても、その労働者の法的地位、行使の時期、態様及び行使の際の客観的情勢等に即して、一定の制約があると解すべきである。

(1) 労働契約関係は、契約当事者相互間の高度の信頼と配慮の下にのみ成り立つ人的継続的な契約関係であるから、労働者は、労働契約に伴う付随的義務として、企業の内外を問わず、使用者の利益を不当に侵害してはならないのは勿論、不当に侵害するおそれのある行為をも慎むべき誠実、配慮義務を負うのは当然である。

右の理は、労働者が年休請求権(時季指定権)を行使するに当つても、当然に妥当すべく、労働者は、右誠実、配慮義務に違反しないよう行使すべきであり、当該労働者の地位、行使の時期、意図、態様及び行使の際の客観的情勢等に照らし、右義務に著しく違反する場合には、年休請求権(時季指定権)の行使自体が、権利の濫用と評価され、その法的効果が否定されるべきものというべきである。

(2) 被告は、公衆電気通信事業の合理的かつ能率的な経営の体制を確立し、公衆電気通信設備の整備及び拡充を促進し、並びに、電気通信による国民の利便を確保することによつて、公共の福祉を増進することを目的として設立された公法人であつて(公社法一条、二条)、公衆電気通信事業という、一般公衆が直接利用関係に立ち、国民生活に直接重大な影響をもつ社会性及び公益性の極めて強い事業を経営する企業体であるから、その事業の運営内容のみならず、更に広くその事業のあり方自体が、社会的な批判の対象とされるのであつて、その事業の円滑な運営の確保とならんで、その廉潔性の保持が社会から要請ないし期待されているものというべきである。

したがつて、被告公社の職員は、私企業の労働者に比し、公共性の高い被告公社に勤務する者として、公務員に準じて誠実にその職務を遂行すべき責務を有し、被告公社の内外を問わず、一定の行為規範に従うべき義務を有するものというべきである(公社法三四条、被告の職員就業規則四条、九条等参照)。また、被告公社の職員は、一般社会から公共性の高い企業に勤務し、その職務に専念しているものとして、好ましい評価を与えられており、この社会的評価を保持することが、職員としての品位ともいうことができる。

以上のような、被告公社の職員の地位にかんがみると、被告公社の職員については、契約並びにその地位に基づき、本来の職務について信義の要請に従つた誠実な職務の遂行が強く求められるばかりでなく、被告公社外での行動について、職員に要求される誠実、配慮義務の内容も、一般の私企業の場合に比し、より広く、かつ、より強いものとなることは、必然的な帰結である。

したがつて、被告公社職員が、誠実、配慮の義務に著しく反し、あえて反社会的行為に出る意図の下に、年休請求権(時季指定権)を行使する場合は、その行使自体、権利の濫用として、被告公社がこれを否定し得るのでなければ、被告公社に要請される廉潔性の保持も、到底不可能というべきである。

(四) これを本件についてみると、次の通りである。

(1) 原告らの前記年休と指定した時季は、原告新井については昭和五三年五月二〇日、原告奥、同山崎については同月一九日、原告山川については同月二二日であるが、右五月一九日から同月二二日までに至る四日間は、関西三里塚闘争に連帯する会が、「三里塚現地連続闘争に参加しよう。」としてその具体的方法を明確に示しつつ参加をあおつた右連続闘争の期間であり、かつ、同月二〇日が成田空港再開港日であつたところ、原告らの前記(一)乃至(四)の各(1)、(2)の事実からすれば、原告らは、他の被告職員に対しては前記各ビラを配布して右連続闘争への参加をあおる行為を実行し、自らは右連続闘争に参加する意図の下に本件各年休の時季指定を行ない、上司が成田開港阻止闘争の非を諭し、それへの不参加を求めても、その指示・説得に抗拒したものというべきである。

現に、昭和五三年五月二〇日の開港日当日における過激派による開港阻止闘争は、悪質な犯罪行為を伴う違法、不当な闘争であつた。

(2) そして、原告らの本件各年休の時季と指定した当時、成田空港開港阻止闘争と称して行われていた現地集会等は、単に平穏裡に反対意思を表明する集会等というものではなく、兇器を準備し、警備の警察隊と激しく衝突を繰り返すという、三・二六事件を頂点とする極めて悪質な犯罪行為を伴つた実力で、成田空港の設置、開港を阻止するための違法、不当なものであつて、民主主義を破壊し、現行法秩序を覆すものとして、政府、国会はもとより、広く社会の非難を受けていたものである。したがつて、かかる集会等に参加して違法行為に加わる意図の下になされた原告らの本件各年休時季指定は、明らかに自ら反社会的行為に及ぶための手段的な行為であり、それが年休権の趣旨、目的に反することは明白である。

(3) しかも、原告らの本件各年休の時季指定がなされたのは、成田開港阻止闘争への被告公社職員らの参加に対する社会を挙げてのごうごうたる非難の中で、国会において、被告公社の年休管理を含めた服務管理の現状に対し、批判がなされ、かつ政府の職員管理厳正化の通達がなされて、被告公社が服務関係の厳正化を指示し、国民から被告公社及び被告公社職員に付託された信頼を確保するための努力をしていた時期であつた。したがつて、かかる時期における年休の時季指定については、被告公社が、右国会及び政府の要請に従い被告公社の信用を確保し得るように、年休権の行使について十分な配慮をなすことを要請されていたといえよう。このような右時期には、被告公社職員自らが右社会的要請にそうよう行動すべきことを要請されていたにもかかわらず、原告らがそれに反して本件各年休の時季指定を行い、右要請に基づく上司の指示、説得を無視したことは、被告公社職員の被告公社に対する誠実・配慮の義務に反するものであり、到底「誠実な権利行使」ということはできないといわなければならない。

(4) また、仮に、右のような配慮義務を度外視しても、原告らが本件各年休を取得して前記闘争に参加したことが判明すれば(これは、右闘争の暴力的性格に照らせば、原告らの逮捕等により十分に蓋然性の存することであつた。)、被告公社は、国会や政府や主務大臣よりの決議の通達における服務管理の厳正化を怠つたものとして強く非難されるのは必定であり、また社会的にも同様の非難を受けることは必定であつた。このようにして、原告らの本件各年休取得は、被告公社に対する当時の社会的要請に照らして、その信用を著しく毀損する可能性が大であつたことからも、「社会生活上不当な結果を惹起する」おそれある権利行使として、権利の濫用となるというべきである。

(五) 以上のとおり、原告らの本件各年休の時季指定は、被告公社職員として要請される信義に著しく反し、年休権の趣旨・内容を著しく逸脱するもので、反社会的行為に年休を利用しようとするものであつて、到底許容されるべきものではなく、権利の濫用として、本件各年休の時季指定は、何ら法的効果のないものというべきであるから、原告ら主張の日に年休は成立していないのである。

3  然るに、原告新井は昭和五三年五月二〇日、同奥、同山崎は同月一九日、同山川は同月二二日の各一日、いずれも適法に年次有給休暇を取得したとして、原告らの本件各年休時季指定に対する被告の前記不承認、時季変更権の行使を無視し、上司の出勤指示に反して無断欠勤をした。

4  原告らの右各欠勤は、いずれも上司の指示に反した無断欠勤であり、被告の就業規則五条一項にいう「職員はみだりに欠勤してはならない。」に該当し、同行為は、同規則五九条の懲戒事由のうち、一八号の「第五条の規程に違反したとき。」に該当すると同時に、三号の「上長の命令に服さないとき。」に該当し、かつ、一号の「公社法又は公社の業務上の規程に違反したとき。」、二号の「職責を尽くさず、又は職務を怠り、よつて業務に支障をきたしたとき。」にも該当する。

このため、被告総裁から懲戒権を委任されている右原告らの機関長らは、原告奥、同山崎、同山川に対し、懲戒規程に則り、その裁量権の範囲内で、同年七月五日、被告の懲戒処分中最も軽い処分である本件各戒告処分の発令をした。

なお、右各処分は、被告近畿電気通信局において、同年六月一五日、同年七月三日の二回に亘り、懲戒委員会を開催し、当該現場管理機関長からの報告に基づき、右原告奥、同山崎、同山川らの懲戒処分の要否及び量定につき慎重に審議した結果、右のとおり、それぞれ、一日無断欠勤の事実により、懲戒戒告処分相当との結論をえたうえ、これに基き発令されたものである。また、原告新井に関しても、右無断欠勤の理由により、同原告の機関長において、同年七月五日付で、被告公社職員として不都合であるとして、文書注意に付した。

5  したがつて、右無断欠勤を理由とする本件右戒告処分及び本件各賃金カツトはいずれも適法であり、原告らの請求はいずれも理由がない。

四  右被告の主張に対する原告らの認否・主張

1(一)  右被告の主張1冒頭部分は争う。

(二)  同1(一)(1)の事実は認める。

同1(一)(2)の事実中、塩崎試験課長が言つた言葉のうち「土曜日で人が少なく業務上支障があるので」との部分並びに「局長からも説得した」とされる言葉のうち、「二〇日は課長から言つたように業務上支障があり」との点は否認するが、その余はすべて認める。

同1(一)(3)<1>の事実中、「原告新井が、試験課の業務として、定常的業務のほかに、異常障害、非常災害の発生に備え、その事態に即応するため平素から必要な資料作成、整備等の業務を行つている。」との点は争う。右業務は、係長以上の担当であり、一般係員が担当することは滅多にない。その余はすべて認める。

同1(一)(3)<2>は争う。

同1(一)(4)の事実のうち、原告新井の上司の塩崎課長が昭和五三年五月一八日、原告新井に対し、年休の時季変更権を行使したことは認めるが、その余は争う。

(三)  同1(二)(1)の事実は認める。

同1(二)(2)の事実中、「杉本係長が理由を聞いたところ、「支部主催の運動会準備のためである。」とのことであつた。」との点及び「伊藤局内保全課長が、同原告に対し、年休の理由の真偽を質したところ、「忙しいので年休を頼みます。」と言つて一方的に電話を切つた。」との点は否認するが、その余は認める。

同1(二)(3)<1>の事実中、「更に局内保全課は右のような定常作業のほかに異常障害、非常災害発生に備え、その事態に対処し得るように必要な資料作成、整備等の業務を行つている。」との点は否認し、その余はすべて認める。

同1(二)(3)<2>及び(4)は争う。

(四)  同1(三)(1)の事実は認める。

同1(三)(2)の事実中、「同課長は、その場で『公社の信用を失う行為はやめるように』と諭し」たとの点並びに「後になつて右局内保全課長から同原告に対し、『年休は認めない。時期変更権ということで出勤してもらう。』旨告げた。」との点は否認し、その余は年休として処理した理由中「通話度数増減調査が同月一七日中に完了したため」との点を除き認める。

同1(三)(3)<1>の事実中、「原告山崎が、局内保全課の業務として、右のような定常作業のほか、異常障害、非常災害発生に備え、その事態に対処し得るように必要な資料の作成、整備等の業務を行つている。」との点は争う。右業務を一般職員が担当したことはない。その余はすべて認める。

同1(三)(3)<2>及び(4)は争う。

(五)  同1(四)(1)は争う。

同1(四)(2)の事実中、今井課長の言つた言葉のうち、「当日は職場に残る者が同原告を含めて二人となり、業務上支障があるので他の日に変更できないか。」、「業務上支障があるので年休は認めない。」との部分は否認し、その余はすべて認める。

同1(四)(3)<1>の事実中、「原告山川が、電報関係業務として電報業務に関する電話照会に対する回答業務、加入電信業務として加入電信販売速報の作成及び加入電信未設置企業に対する販売勧奨資料の送付等、更に、加入電信の申込等お客からの電話照会に対する回答業務を行つている。」との点は否認し、その余はすべて認める。

同1(四)(3)<2>の事実中、「同課において、特別な業務として管内電報取扱局一九局のうち一八局に対し業務用物品(慶弔電報の利用案内チラシ等)の配布と管内大岩郵便局の模写伝送機の更改に伴なう実査の業務を予定し、右業務に原告山川と白井社員をあてることとしたこと、右五月二二日には同課員五名のうちに週休者一名があつたこと」の点は認め、その余は争う。

同1(四)(4)は争う。

(六)  同1(五)及び2は争う。

(七)  同3の事実のうち、原告らの欠勤が無断であるとの点は争うが、その余は認める。

(八)  同4、5は争う。

2  時季変更権の行使について

原告奥、同山崎、同山川は、本件各年休の時季指定に対し、被告から時季変更権を行使されたことはないし、また、原告新井は、本件年休の時季指定に対し、被告から、時季変更権の行使要件たる「事業の正常な運営を妨げる事情」について、労働協約上必要な理由説明を含め、一切の説明を受けていない。

そして、原告らすべてについて、本件各年休の時季指定に対して被告において時季変更権を行使する為の要件である「事業の正常な運営を妨げる事情」は存在しない。

(一) 原告新井関係

(1) 原告新井は、本件年休の時季指定に先立ち、右指定にかかる昭和五三年五月二〇日の土曜日につき、その日週休となる同僚の加減修一外一名に原告との交替勤務の了承を得ていた。そして、同月一八日の前記塩崎課長や局長との本件年休の時季指定をめぐる話し合し合いの際に、右交替勤務者が確保されている事情を説明していた。右のとおり、右五月二〇日には、原告が出勤しなくとも、四名服務の要員は確保されていたのであつて、「事業の正常な運営を妨げる事情」は如何なる観点からも全く存しなかつた。

また、被告主張の業務繁忙は、全く根拠がないものである。即ち、通話停止解除作業は、具体的には停止解除後の確認作業が主であり、それも、特別の技術も要せず、キー一つの操作で済み、一件当り一五秒程度の極めて簡易な作業であること、障害修理件数の同月一九日持越し分が平常の二倍に達したということは時季変更権行使後判明した事情であるうえ、一般に土曜日の障害申告は平日より減少傾向にあり、現に右五月二〇日当日の分は一六件で同月一七日から二〇日までの四日間の内では最底であつたこと、特別保守体制なるものは、仮に存したとしても、これに関係あるのは管理者だけで、一般職員の勤務には全く影響がなかつたこと、その他当時の試験課の業務に照らし右五月二〇日の作業量が平日より少ないことはあつても、繁忙とは到底いえない実情であつた。

被告の時季変更権行使等年休拒否は、原告新井が成田空港開港阻止闘争に参加するおそれがあり、それをさせないために、本件年休の取得を拒否したのであつて、それが唯一の理由であり、被告のいう「事業の正常な運営を妨げる事情」なるものは単なる口実にすぎない。

(2) 又、局長及び塩崎試験課長は、同月一八日原告新井と交渉した際、「事業の正常な運営を妨げる」理由を全く説明していない。これは、被告と全国電気通信労働組合との間で締結された年次有給休暇に関する協約第六条の「休暇の取得に際しては本人が時期の指定をするものとするが、その際は法定内外の区分をして行なうものとする。ただし指定された時季における休暇が事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季に変更することができるものとする。なお、その際は、本人にその理由を説明するものとする。」との規定中、「理由説明条項」に明らかに違反している。この違反は、交替勤務者が存在しておることから、「事業の正常な運営を妨げる」事情等全く存在していないことに起因することも疑い無いところである。

(二) 原告奥関係

(1) 原告奥は、昭和五三年五月一七日、本件年休の時季を同月一八日及び一九日と指定し、その後右同日、有末局長らと話し合いをしたが、その際に、本件年休の時季指定に対する時季変更権行使は全くなされていない。

右局長らは、原告に対し「成田闘争に参加するな。」という説得に終始したのであつて、同原告の年休取得について問題になつたのは、「事業の正常な運営を妨げる事情」の存在ではなく、成田闘争への参加であつた。

(2) しかも、被告主張の特別保守体制が仮に存したとしても、同原告にはこのことについて全く知らされておらず、かつ、それに伴う特別の業務の指示も受けていなかつたし、また、当時、臨時雇の者も、正規の女子職員の代替要員として十分稼動していたから、被告のいう同原告の年休取得による「事業の正常な運営を妨げる事情」は全くなかつたのである。

(三) 原告山崎関係

原告山崎は、昭和五三年五月一七日、本件年休の取得問題で若林局長らと話し合つた際、右局長らから、「反社会的な成田開港阻止闘争に参加するおそれがあるので、年休は認められない。」旨申し渡された。これに対し、原告山崎は、「公社には承認権があるのか。」と問いただしたところ、「承認権がある。」と答えたので抗議をすると、「時季変更権がある。」と言い直した。そこで、更に、同原告は、「時季変更が認められるのはどのような場合か、職場の状況を踏まえて言つているのか。どこに時季変更しなければならない事情があるのか。」と追及すると、明確に「時季変更の要素はありません。」と返答した。

同月一八日、原告山崎は、年休をとつたが、右同日午前九時三〇分ころ、職場に赴いた際、土井課長と会つたところ、土井課長は「今日は顔を見たから年休を認めよう。」と同原告に伝えた。実際、その通り一八日は年休処理扱いとなつた(なお、二二日は年休を取り消し出勤した)。

以上のとおり、原告山崎は、全く時季変更権を行使されていないし、その行使の要件である事業上の事情についての説明等時季変更権行使につき前記労働協約上必要な理由説明は全く受けていない。

しかも、局内保全課は、日勤服務を行なう者四名、六輪番の交替服務を行なう者三名で構成され、通常一日の出勤者は三ないし五名であるところ、同月一九日には、原告山崎を除いて六名の服務者があり、かつ、被告主張の特別保守体制は、前述のとおり、一般係員には何ら知らされなかつたし、それに伴なう特別の業務について指示されたことも全く無い。

したがつて、原告山崎が、同月一九日に年休を取得することによる事業上の不都合は全く存せず、現に右五月一九日、局内保全課全体で一一名の年休取得者がいた位であるから、当時、被告の事業の正常な運営を妨げる事情は全くなかつたのである。

(四) 原告山川関係

原告山川は、昭和五三年五月一九日、今井電信課長に対し、同月二二日年休をとる旨の時季指定を行なつたところ、右課長は、「成田関係でとやかくいわれている日に休む理由は何か。」と執拗にその理由を追及し、又、「時期が時期だし、成田の関係で通達が出されているのを君も知つているだろう。年休をとれば処分せざるを得ない。」との態度を採り続けた。その際、右課長は、時季変更権を行使することはなかつた。

そして、同月二二日、原告山川が欠勤すると、右課長は、同原告の留守中に同原告宅を訪問し、母親に対し同月一九日から二一日の間の同原告の行動を質問し調査した。

これらの右課長の態度から明らかな様に、原告山川の年休を認めようとしなかつた理由は、同原告が三里塚闘争に参加するおそれがあるということにあつた。

次に、原告山川は、昭和五三年五月末ころを一応の目途に、訴外白井社員と共に、慶弔電報の利用案内チラシを配付する様指示されていたところ、同原告自らその配付日を、同月一七日、一八日及び二二日と設定し、係長の了承を得て一応その日と予定していた。しかし、右業務は、緊急を要するものではなく、しかも一応の目途である五月末までにはまだ余裕があり、事業上の問題は無いところから、やむを得ない事情により、同月二二日年休の時期指定を行なつた。しかも、右配付業務は、訴外白井社員が運転する自動車の助手席に、原告山川が同乗して電報取扱局に前記チラシを配達するものであつて、訴外白井社員一名でも充分可能な業務内容である。従つて、いずれの観点からも、原告山川の年休取得によつて前記配付業務に支障が生じることはなかつた。

しかも、被告公社の大阪北地区管理部電信課の職場配置人員が、出張等の事情によりしばしば一人となることがあつた。従つて、前記配付業務に訴外白井社員と伴に原告山川に替わる他の社員が従事しても、それで特段職場内の他の業務に支障が出ることはない。したがつて、同原告が年休を取得しても、平常業務及び前記配付業務等に支障はない。

以上のとおり、原告山川についても、当時、事業の正常な運営を妨げる事情はなかつたのである。

3  本件各年休の時季指定は正当な権利行使であつて、権利の濫用ではない。

年次有給休暇の権利は、労働基準法第三九条一、二項の要件が充足されることによつて法律上当然に労働者に生ずる権利であつて、同条三項にいう「請求」とある文言の趣旨は、休暇の時季の「指定」にほかならず、労働者の請求をまつて始めて生ずるものではない。労働者がその有する休暇日数の範囲内で、年休の時季指定をした時は、客観的に同条三項但書所定の「事業の正常な運営を妨げる」との事由が存在し、かつ、これを理由として使用者が時季変更権の行使をしない限り、右の指定によつて年休が成立するのである。(まして使用者の承認が必要なものではない。)

そして、年次有給休暇の利用目的は、労働基準法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは使用者の干渉を許さない労働者の自由である、とするのが法の趣旨であり(最高裁判所昭和四八年三月二日判決民集二七巻二号二一〇頁参照)、また、被告と全国電気通信労働組合との「年次有給休暇に関する協定」に伴なう確認事項においても、「年次有給休暇をどのように利用するかは本人の自由である。」とされている。

まして、年休制度の趣旨が、労働者に一定期間の休暇を有給で保障することにより、労働者が日頃の従属労働から解放され、精神的・肉体的疲労からの回復を図ると同時に、文化的・社会的にも、人たるに値する生活を営むことができるようにしようとするところにあるところからすれば、なおさら年休は、就労義務から解放された労働者が、何ら使用者の拘束を受けることなく、自由に利用できるものでなくてはならないというべきである。

よつて、原告らの本件各年休の時季指定は、その使用目的を問わず、適法な年休権の行使であつて、被告主張の如く、権利の濫用となるものではない。

4  本件各戒告処分は、思想、信条を理由としてなされたもので、無効である。

被告会社は、原告らの本件各年休の時季指定に対し、原告らが、三里塚闘争に参加するおそれがあり、かつ、三里塚闘争は、反社会的、反国家的であるとして、原告らに対し、三里塚闘争に参加するのではないかと執拗に年休を取る理由を問い、原告らにおいて、三里塚闘争に参加するおそれがあるから年休を認めないという態度をとつた。この報告の態度は、「三里塚闘争に参加することのないよう職員の管理、監督に十分配慮せよ。」との日本政府の指示の下に、「職員が三里塚闘争に参加することがないようあらゆる指導措置を構じる。」と決定した被告公社としての方針に基づくものである。

被告が、原告らの年休を認めようとせず、本件各戒告処分を行なつた唯一の理由は、「原告らが三里塚闘争に参加するおそれがあつた。」ということだけである。このような理由からなされた本件各戒告処分は、まさに、原告奥、同山崎、同山川らの思想の自由を侵害する以外の何物でもない。しかも、それが、日本政府の指示を忠実に体現して行なわれただけに、この自由の侵害は、極めて重大であるといわなければならない。

よつて、原告奥、同山崎、同山川に対する本件各戒告処分は、その思想・信条を理由としてなされたものであるから、労働基準法三条三九条、憲法一九条二一条に違反し公序良俗に違反するものであつて、当然無効である。

5  なお、後記被告の2ないし4の主張は争う。

五  右原告らの主張に対する被告の認否及び反論

1  右原告らの2ないし4の主張は争う。

2  原告新井関係

(一) (代替勤務者確保について)

塩崎課長らは、原告新井から申出のあつた前記五月二〇日の勤務を同僚の加減修一外一名と交替する件に対し、服務規律厳正化指示に従い、これを承認しておらず、従つて、「土曜日の服務予定者四名は原告が出勤しなかつたとしても確保されていた。」とする原告新井の主張は失当である。

実際にも、原告新井が勤務の交替を要請し了承を得ていたという加減、札本両名とも、原告新井が無断欠勤した五月二〇日は所定どおり休んでおり、出勤はしなかつた。

(二) (事業の正常な運営を妨げる理由の説明について)

原告新井は、本件年休の時季指定に対する時季変更権の行使について、被告公社は、年休に関する協約六条なお書にいう事業の正常な運営を妨げる理由について全く説明しておらず、「理由説明条項」に明らかに違反している旨主張するが、塩崎課長は、五月一八日、原告から本件年休について時季指定をうけた際、原告新井に対し、「土曜日で人が少なく業務上支障がある」旨明確に伝えており、原告新井が当該職場の事情に十分通暁している状況を勘案すれば、右説明は、同人に対する必要かつ十分な理由説明というべきである。

(三) (時季変更権行使時の業務繁忙の認識について)

塩崎課長は、五月一六日午前九時ころ、自らも出席した四月二一日の料金事務線表会議の結論に基づき、従局の電話料金未納加入者に関する通話停止通知書(三九五件―加入者ごとに表示したもの)を営業課から受け取つており、したがつて本件年休請求を受けた時点である五月一八日午後一時三五分ころにおいて、既往の作業実績から五月一九日の繁忙状況は十分予測しえたものである。

また、同課長は、本件年休の時季指定当時、岸和田貝塚電報電話局の事情として、雨後障害の発生が多くなる傾向にあるところ、雨天であつた五月一七日に発生し未修理のまま一八日に持ち越された障害件数が六件あり、なお五月一八日も雨であつて一九日以降に持ち越される件数も相当数あるものと予測したものである。

原告新井と同課長との接触は、最終的に五月一九日終業時刻前に行われたが、その時点で同課長には、前記予測のとおり、五月一八日に発生し未修理のまま一九日に持ち越された障害件数が、平常日の約二倍(一〇件―平常日のそれは四ないし五件程度)に達していたほか、同月一九日の障害件数もまた多く発生しているという認識があり、したがつて、これらの事態から同月二〇日への持ち越しも相当件数生じ、これによる障害修理作業も繁忙状況を呈するのであろうという判断をしたのである。

(四) (通話停止解除作業について)

本件従局の通話停止作業は、解除の際に遠隔操作を行なうために装置をとおしてセツトするので、三日ないし四日の作業日程を要するのであり、本件の場合は、金曜日の一九日まで作業を行なつており、したがつて解除作業が土曜日の五月二〇日にも相当数出ることが予測されたのである。

(五) (特別保守体制の認識について)

被告の岸和田貝報電報電話局では、昭和五三年五月初めから通信設備のある機械室等の出入口の施錠の徹底化、五月一七日から二二日までの間の管理者による早朝出勤、泊り込みによる二四時間警備体制の実施、右施錠の徹底の件の四月二八日各課長から職員への周知徹底、同月二〇日頃の「局舎管理の徹底について」という掲示板への掲示、原告新井に対する同月二九日の宿直の際の課長からの直接指示、等を行なつていたから、これにより、原告新井は、特別保守体制が敷かれていることを十分知りえたはずである。

3  原告山崎関係

(五月一九日の年休取得者について)

原告山崎は、五月一九日の年休取得者が一一名いたと主張するが、事実は半日年休七名(うち午後半日年休は一名)、二時間年休二名であつた。土井課長は、一九日は、成田空港再開港日の前日でもあり、特に心配していたので一日年休は一名も認めるつもりはなかつた。そして、短時間年休は呼び出し勤務の対象となるので、万一の場合には呼び出しにより対処するつもりでいたものである。現に一八日あたりから休んで釣に行きたいという四名に対して事情を話して、一八日、一九日の年休を取りやめてもらつたというケースもあつたのである。

4  原告山川関係

(一) (電信課の一人配置事例について)

原告山川は、電信課の現場配置人員が出張等の事情により、しばしば一人となることがあつたと主張するが、事実は当初の計画段階で一名配置としたことはなく、ごく例外的にあらかじめ二名を配置していたが、勤務すべき職員が突然病気で休んだ場合や緊急な業務が発生して一名が出張したためにやむを得ず一名配置とならざるを得なかつたことがあるのみであり、原告山川はわずかな例外事項を誇張して述べているにすぎないのである。

(二) (五月二二日の山川宅訪問について)

今井課長が右五月二二日に原告山川宅を訪問したのは、次長の指示もあり、業務に支障を生じるのでなんとか出勤を促したいことと、部下の無断欠勤による処分という事態を上司として是非とも避けたかつたためである。そして同原告が不在であつたので、母親に同原告に出勤してほしい旨告げたまでである。

(三) (物品配布業務について)

原告山川は、物品配布業務が緊急を要するものではなかつたと主張するが、五月上旬において、PR用チラシが底をつきかけている局が七局もあり、同下旬には全く底をついてしまうところも出てくると判断した今井課長が、一七日、一八日、二二日の三日間にわたる配布日程を決定したものである。そしてこれを設定するにあたつては、電信課業務全般を検討したのであるが、五月は春闘明けの月で、新年度の各種施策が具体的に動き出すということもあり、非常に忙しい月である上、昭和五三年度は電報通数の減少に伴う電報部門の要員削減を実施することとなつたので、電信課としては非常に多忙であり、特に下旬では二二日以外の日に設定することは不可能であつた。

また、原告山川は、物品配布業務は、白井社員一名でも十分可能な業務内容であると主張するが、この業務は臨時的な業務であり、日頃馴れない道路を運転していくことから、今井課長は、先に述べたように特に安全面等と作業効率を考え、二名で行う方がよいと判断したのであつて、管理者として適切な配慮をしたといえるのである。

第三証拠<略>

理由

一  被告が、公衆電信業務及びこれに付帯する業務等を行なうため、日本電信電話公社法に基づき設置された公法上の法人であること、原告らが、いずれも被告の職員であり、昭和五三年七月当時、原告新井は、被告の近畿電気通信局大阪南地区管理部に属する岸和田貝塚電報電話局施設部試験課に、原告奥は、同通信局大阪東地区管理部に属する平野電報電話局局内保全課に、原告山川は、同通信局大阪北地区管理部電信課に、原告山崎は、同通信局大阪南地区管理部に属する戎電報電話局局内保全課にそれぞれ勤務していたものであること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  次に、被告が、原告新井において昭和五三年五月二〇日に、同奥と同山崎においてそれぞれ同月一九日に、同山川において同月二二日に、いずれも無断欠勤をしたとし、原告奥、同山川、同山崎に対しては、それぞれ被告の職員就業規則五九条一、三、一八号に基づき同年七月五日付で戒告処分(本件各戒告処分)を、原告新井に対しては、同日付で文書注意処分をなし、かつ、原告らにおいて本来受給すべき同年七月分の賃金から、原告新井については金五六六七円、同奥については金六八五六円、同山川については金五一〇三円、同山崎については金四八七九円を、それぞれ差引いたこと(本件各賃金カツト)、以上の事実も当事者間に争いがない。

三  そこで、本件各戒告処分及び本件各賃金カツトの適法性について検討する。

1  原告らが、被告から無断欠勤と扱われた前記各日に欠勤をしたことについては当事者間に争いがない。

2  原告らは、右各欠勤をした日については、年休の時季指定(請求)をし、適法に年休を取得したと主張しているのに対し、被告は、右原告らの右時季指定に対し、時季変更権を行使したと主張するので、まず、この点につき検討する。

(一)  原告新井関係

(1) 原告新井が、昭和五三年五月一八日、その上司の塩崎試験課長に対し、同月二〇日を年休の時季と指定して年休の申出をしたこと、これに対し同課長が、右五月一八日、原告新井に対し、時季変更権を行使したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

(2) 被告は、原告新井が年休の時季として指定した昭和五三年五月二〇日は、同原告が年休をとつた場合には、被告の業務の正常な運営を妨げる事情があつたと主張している。

ところで、当時、原告新井の所属していた被告の岸和田貝塚電報電話局施設部試験課は、同局に収容されている市内外電話回線、電話交換機、電話機等各種宅内機器等に対する保全サービスのいわば窓口であり、その主な業務は、加入者からの故障障害申告があつた場合の受付、修理手配等故障に関連する諸作業のほか、修理が完了した場合の試験、加入者開通試験、一般の苦情申告受付、料金不払い等に起因する通話停止関係業務及び各施設の定期試験業務を実施していたこと、右試験課の職員は二六名で、その構成は、課長一名、試験係長二名、作業主任五名、係員一八名となつていたこと、原告新井は、右交替服務を行なう課員として、加入者からの申告受付、障害修理手配等、前記試験課の業務全般を行なつていたこと、以上の事実については、いずれも当事者間に争いがない。

しかしながら、被告主張の如き諸事情(被告主張の1(一)(3)<2>に記載の諸事情)があつて、当時、原告新井が欠勤した場合には、同原告の属する岸和田貝報電報電話局施設部試験課の業務の正常な運営を妨げる事情があつたとの被告の主張事実に副う証人塩崎博の証言はたやすく信用できず、他に右被告の主張事実を認め得る的確な証拠はない。

(3) 却つて、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(イ) 原告新井が年休の時季として指定した昭和五三年五月二〇日は土曜日であつて、当日は、原告新井の所属する岸和田貝塚電報電話局施設部試験課の勤務予定者は、塩崎課長の外四名であつて、原告新井が年休をとつた場合には、塩崎課長の外は三名となること、

(ロ) しかし、右五月二〇日当日、試験課の業務内容の一つである通話停止作業は全くなく、また、通話停止解除作業が右三名で処理できない程に多くなるようなことはなかつたし、さらに、障害修理作業についても、同年五月一七、一八日の両日、雨が降つた関係から、若干増加することは予測されたが、大雨その他の風水害のあつた場合程に増加することもなかつたので、右五月二〇日の試験課の業務は、塩崎課長外三名の係員で充分処理し得る状況にあつたこと、

なお、従来、通話停止解除作業が多いとか、雨が降つて障害件数が増加したというような理由で、年休の請求が拒絶されたことはないこと、

(ハ) しかも、原告新井は、同年五月一八日、右五月二〇日を年休の時季を指定するに先立ち、同僚の札本と交渉して、右五月二〇日の勤務について原告新井と交替することの了解を得た上、塩崎課長に対し、その旨述べて勤務割の変更を申出たが、同課長がこれを拒絶したので、原告新井は、右五月二〇日を年休とする旨の時季指定をしたこと、したがつて、右五月二〇日に原告新井が年休をとることにより、当日の勤務者が塩崎課長外三名となつて、試験課の業務の正常な運営を妨げられる虞れがあつたならば、原告新井に変つて、右札本に勤務させればこれを解消できた筈であつたから、原告新井が年休をとれば、試験課の正常な業務の運営が妨げられるような事情にはなかつたこと、

(ニ) なお、昭和五三年五月二〇日当時、岸和田貝塚電報電話局では、いわゆる特別保守体制がとられていたけれども、右は、同年五月二〇日の新東京国際空港(成田空港)の開港に反対する過激派が被告の通信設備を破壊する場合のあることを虞れ、これに対処するためにとられたものであつて、その内容は、管理者による早朝出勤や宿直などによる二四時間の警備体制をとることであつたこと、そして、当時、原告新井ら一般職員に対しては、右特別保守体制について何も知らされておらず、したがつて、右特別保守体制がとられているからといつて、原告新井ら一般職員の勤務に影響がなく、原告新井が年休をとつても格別の支障は生じなかつたこと、

(ホ) 次に、原告新井が、昭和五三年五月二〇日を年休の時季と指定した後、右年休の取得についてその交渉に当つた塩崎課長や岸和田貝塚電報電話局長らは、原告新井に対し、執拗に右年休取得の理由を尋ねたのに、原告新井が右理由を言わなかつたので、結局右年休の取得を拒否し、塩崎課長においてその時季変更権を行使したのであるが、その際、右塩崎課長や局長らは、被告の業務の正常な運営を妨げる事情として、被告が本訴で主張しているような通話停止解除作業、障害修理作業の著しい増加や、特別保守体制については、全く説明をしていないこと。

(ヘ) むしろ、当時、岸和田貝塚電報電話局では、その上部機関の大阪南地区管理部の指示に基づき、労務厚生課長から塩崎課長らに対し、業務上の支障がなくても、昭和五三年五月二〇日前後を年休とする時季指定がなされた場合には、成田空港開港に反対する現地闘争に参加する蓋然性のあるものを含め、一応年休として処理することを留保して局長に報告するよう指示があつたこと、そこでその後、塩崎課長が岸和田貝塚電報電話局長に対し、原告新井から前記年休の時季指定があつた旨の報告をしたところ、同局長は、原告新井は、右五月二〇日の成田空港の開港に反対する現地闘争に参加する虞れがあると判断し、専らこれを理由にして、原告新井に年休を与えなかつたこと、

なお、原告新井は、右五月二〇日は大阪に居り、成田空港の関港に反対する現地の闘争には参加していないこと、

以上の事実が認められる。

(4) してみれば、原告新井が年休の時季として指定した昭和五三年五月二〇日は、同原告が年休をとつた場合に、被告の岸和田貝塚電報電話局施設部試験課の業務の正常な運営が妨げられる事情はなかつたものというべきであるから、塩崎課長の右年休の請求に対する時季変更権の行使は無効であつて、右五月二〇日については、原告新井の年休が有効に成立したものというべきである。

(二)  原告奥関係

(1) 原告奥が、昭和五三年五月一七日、その上司の杉本第一保全係長に対し、同年五月一八日、一九日の両日を年休の時季と指定したところ、その後、原告奥が右年休の時季指定をした旨の報告を受けた平野電報電話局の有末局長が、原告奥に対し、年休として処理することはできない旨のことを述べたこと、以上の事実については当事者間に争いがない。

(2) 次に、被告は、原告奥が年休の時季として指定した昭和五三年五月一九日は、同原告が年休をとつた場合には、同原告の属する平野電報電話局局内保全課の正常な業務の運営を妨げられる事情があつたので、原告奥に対し、右年休の時季指定を承認しなかつたと主張し、仮に、右不承認が理由がないとしても、時季変更権を行使したと主張しているところ、年休は、後述の通り、労働者が年休の時季指定をすることにより当然成立するものであるから、時季指定の不承認により、原告奥の年休が成立しなかつたとの趣旨の被告の主張は失当である。

次に、当時原告奥の所属していた平野電報電話局局内保全課は、電話交換機等同局内に設置されている各種電気通信機器に対する保全業務を担当する部門であり、その主な業務は、加入者からの障害事由を受けつけ、障害修理手配を行ない、修理が完了したときは、その試験等を行なう「試験業務」、局内障害修理、加入者の住所変更等による局内配線工事等、各種機器等の定期試験等を行なう「機械業務」、局内障害修理、加入者の住所変更等による局内配線工事等、各種機器等の定期試験等を行なう「機械業務」、局内交換機に対する電力供給機器、空調設備の点検保守等を行なう「電力業務」、並びに、「構内交換電話設備の保守、検査業務」等のほか、右局内通信設備全体の「保全統制業務」を分掌していたこと、右局内保全課の職員は、課長一名、副課長一名、保全係長(第一ないし第五)五名、作業主任一〇名、係員三七名の以上合計五四名であつたこと、原告奥は、右局内保全課の日勤服務を行なう第一保全係の係員として、障害調書の作成、障害修理等の管理等の物品調達、日常作業の工程、及び、稼動等の管理業務のほか、給与、旅費及び通勤費の支給業務を担当していたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

しかしながら、被告主張の如き諸事情(被告主張の1(二)(3)<2>に記載の諸事情)があつて、当時、原告奥が欠勤をした場合には、同原告の属する平野電報電話局局内保全課の業務の正常な運営を妨げる事情があつたとの事実に副う証人有末頼男の証言は、たやすく信用できず、他に右事実を認め得る的確な証拠はない。

(3) 却つて、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(イ) 昭和五三年五月当時、原告奥の属していた平野電報電話局局内保全課第一保全係には、係長と原告及び女子職員の計三名の外、臨時雇の職員一名が配属になつていたこと、

しかし、右第一保全係の職務は、必ずその日のうちに処理しなければならないものではなかつたので右三名の者のうちの一人が年休等で休んだ場合には、その者の担当職員は、ほとんど未処理のまま残されていたこと、したがつて、昭和五三年五月一八日と一九日に原告奥が年休をとつても、右第一係の正常な業務の運営が妨げられるようなことはなかつたこと、

(ロ) 次に、昭和五三年五月一九日当時、平野電報電話局では、その上部機関である大阪東地区管理部の指示に基づき、いわゆる特別保守体制に準ずる体制をとつていたところ、右特別保守体制は、管理職が早朝出勤や宿直などをして、二四時間局舎内外の警備体制をとることをその内容とするものであつて、一般職員である原告奥には右準特別保守体制について何も知らされておらず、その勤務には、原則として、関係がなかつたこと、そして、現実にも、前記五月一九日、原告奥が欠勤をしたことによつて、右特別保守体制に準ずる体制に影響は全くなかつたこと、

(ハ) 平野電報電話局では、昭和五三年五月一七日頃、その上部機関の東地区管理部の指示に基づき、その職員が、同月二〇日に予定されていた成田空港の開港に反対するための現地闘争に参加する可能性のあるものについては、年休を一切認めない方針をとつていたところ、平野電報電話局の有末局長は、当時原告奥は右成田空港の開港に反対する現地闘争に参加する虞れが強いと判断して、原告奥の時季指定(請求)にかかる同年五月一八日と一九日の年休を認めなかつたのであつて、右闘争に参加する虞れがないと判断されれば、勿論年休の取得を拒否するようなことはなかつたこと、

したがつて、当時、原告奥が年休をとつても、第一保全係の正常な業務の運営が妨げられるような事情になく、現に、有末局長は、原告奥が時季指定をした右五月一八日の年休については、当初その取得を拒否していたが、その後、右当日、原告奥が平野電報電話局に姿を見せたので、(但し、就労はしなかつた)、右五月一八日の年休を認めたこと、

以上の事実が認められる。

(4) してみれば、原告奥が年休の時季として指定した昭和五三年五月一九日は、同原告が年休をとつても、被告の平野電報電話局局内保全課第一保全係の業務の正常な運営が妨げられる事情はなかつたものというべきであるから、仮に、右五月一九日を年休とする旨の時季指定に対し、時季変更権の行使がなされたとしても、右権利行使は無効というべきである。したがつて、右五月一九日については、原告奥の年休が有効に成立したものというべきである。

(三)  原告山崎関係

(1) 原告山崎が、昭和五三年五月一六日、上司の土井局内保全課長に対し、同月一八、一九日、同月二二日を年休の時季と指定したこと、これに対し、同課長が同月一七日同原告に対し、成田開港阻止闘争の反社会性を話し、「公社職員がそのような反社会的行動に参加することは公社の著しい信用失墜にもなるし、君自身のためにも心配である。君の今までの行動からみて心配であり、年休を認めるわけにはいかない。」旨の対応をし、同時に局長からも同趣旨の説得があつたこと、以上の事実については、当事者間に争いがない。

(2) 被告は、原告山崎が年休の時季として指定した昭和五三年五月一九日は、同原告が年休をとつた場合には、同原告の属する戎電話局局内保全課の正常な業務の運営を妨げられる事情があつたので、原告山崎に対し、右年休の時季指定に対し、時季変更権を行使したと主張している。

ところで、原告山崎の属する戎電話局保全課は、同局内に設置されている各種電気通信機器に対する保全業務を担当する部門であり、その主な業務は、加入者からの障害申告を受け付け、障害修理手配を行ない、修理が完了したときは、その試験を行なう「試験業務」、局内機器の障害修理、加入者の住所変更等による局内配線工事の実施等、各種機器等の定期試験を行なう「機械業務」のほか、右局内通信設備全体の「保全統制業務」を行なう役割を果たしていたこと、局内保全課の職員は、昭和五三年五月当時、課長一名、保全主幹一名、保全係長(第一ないし第五)五名、作業主任一〇名、係員四〇名の合計五七名であつたこと、原告山崎は、当時、右局内保全課の日勤服務を行なう第二保全係の係員として、クロスバー電話交換機等の局内機器の障害修理、加入者の住所変更等による局内配線工事等、各種機器等の定期試験の実施等「機械業務」全般を行つていたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

しかしながら、原告山崎が昭和五三年五月一九日年休をとつた場合には、同原告の属する戎電話局局内保全課の正常な業務の運営を妨げられる事情があつたとの事実に副う証人土井荘太郎の証言はたやすく信用できず、他に右事実を認め得る的確な証拠はない。

(3) 却つて、<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(イ) 原告山崎の属する戎電話局においては、昭和五三年五月一九日当時、その上部機関である被告の大阪南地区管理部から、過激派による通信設備の破壊活動がなされることを予測して、局舎設備や電気通信設備の保全に万全を期するよう指示を受けていたので、右大阪南地区管理部及び戎営業所等の地区合同局舎警備体制をとり、また、戎電話局における特別保守体制もとつていたこと、

(ロ) ところで、右地区合同局舎警備体制については、管理職と非組合員とがこれに当ることになつており、また、特別保守体制も、管理職がこれに当り、午前八時に出勤するとか宿直をするなどして、二四時間、局舎の内外のパトロールや、電気通信関係の部屋の施錠の実施及びその確認等を行なうものであつて、一般職員でかつ全電通の組合員である原告山崎については、右地区合同局舎警備体制や特別保守体制については関係がなく、そのことを知らされてもなかつたこと、

したがつて、原告山崎が昭和五三年五月一八日、一九日、二二日に、年休をとつても、戎電話局局内保全課の正常な業務の運営を妨げるような事情はなかつたこと、

(ハ) しかるに、原告山崎の上司である土井課長や若林局長は、いずれも原告山崎が、同年五月二〇日に予定されている成田空港の開港に反対する現地闘争に参加する虞れがあると考え、専らこれを理由にして、原告山崎から時季指定のあつた前記五月一八日、一九日、二二日の年休を認めようとしなかつたものであつて、原告山崎が右現地闘争に参加する虞れさえなければ、右年休の取得を拒否するようなことはなかつたこと、

(ニ) 現に、原告山崎がさきに年休の時季として指定した同年五月一八日については、同原告が、右同日、戎電電ビルの正面玄関前でビラを配布し、成田空港のある現地には赴いていないことが判明したので、原告山崎の上司は、右同日を、原告山崎の年休として取扱つたこと、なお、同年五月二二日の年休については、原告山崎自らが、前記年休の時季指定を撤回して、出勤したため、問題にならなかつたこと。

以上の事実が認められる。

(4) してみれば、原告山崎が年休の時季として指定した昭和五三年五月一九日は、同原告が年休をとつても、被告の戎電話局の業務の正常な運営が妨げられる事情はなかつたものというべきであるから、仮に、右五月一九日を年休とする旨の時季指定に対し、時季変更権の行使がなされたとしても、右権利行使は無効というべきである。したがつて、右五月一九日については、原告山崎の年休が有効に成立したものというべきである。

(四)  原告山川関係

(1) 原告山川が、昭和五三年五月一九日、その上司の今井電信課長に対し、同月二二日を年休の時季と指定したことは当事者間に争いがない。

(2) 被告は、原告山川が年休の時季として指定した昭和五三年五月二二日は、同原告が年休をとつた場合には、同原告の属する被告の大阪北地区管理部電信課の正常な業務の運営を妨げられる事情があつたので、原告山川に対し、右年休の時季指定に対し、時季変更権を行使したと主張している。

ところで、昭和五三年五月当時、原告山川の属する被告の大阪北地区管理部電信課は、同管理部管内の電報取扱局(一九局)及び郵便局(二二四局)の電報業務並びに加入電信を取り扱う電報電話局の関係業務について、これが指導、援助並びに、管理監督業務を行なつているほか、自課自体も、固有の加入電信エリヤを有していることから、エリヤに関連する業務について直接顧客と対応してこれを行なつていたこと、当時、右電信課の職員は、課長一名、電信係長一名、係員四名の合計六名であつたこと、原告山川が、当時、右電信課の日勤服務を行なう一般の課員であり、電報関係業務として、管内全電報取扱局(郵便局を含む)からの毎月の電報取扱通数の集計、分析及び上部機関への報告等の業務を行なつていたこと、以上の事実については、当事者間に争いがない。

しかしながら、原告山川が昭和五三年五月二二日年休をとつた場合には、被告主張の如き事情(被告主張の1(四)(3)<2>に記載の事情)があつて、同原告の属する被告の大阪北地区管理部電信課の正常な業務の運営を妨げられる事情があつたとの事実に副う証人今井弘の証言はたやすく信用できず、他に右事実を認め得る的確な証拠はない。

(3) 却つて<証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(イ) 被告の大阪北地区管理部電信課では、昭和五三年五月二二日は、係員の栃尾が週休となつていたので、原告山川が年休で休んだ場合には、課長、係長、係員二名の合計四名でその業務を遂行することになるが、これによつて、右業務の遂行に支障が生ずるようなことは全くなかつたこと、

(ロ) 次に、原告山川は、昭和五二年五月一七日と一八日に、同僚の白井と共に、大阪北地区管理部管内の電報取扱局に、慶弔電報の利用案内チラシ(PR用チラシ)を配布して廻つたが、同月二二日にも、右チラシを管内の電報取扱局に配布して廻る予定であつたこと、

ところで、右チラシの配布に当つては、白井が自動車を運転し、原告山川が助手席に乗つて、これを行なつていたが、右チラシは、一人でもこれを充分に配布することができるのであつて、現に、五月二二日には、原告山川が欠勤したので、右白井が一人で配布予定の九局中三局にチラシの配布を行なつたこと、

なお、右チラシは、右五月二二日までに配布し終らなければならなかつたのではなく、それ以後に配布しても差支えなかつたこと、

(ハ) そして、原告山川が、前記五月二二日に欠勤をしたところ、その上司である今井課長が、右同日午前一〇時頃から数時間を費して、係員の白井と共に、わざわざ原告山川の自宅に赴き、その母親に会つて、原告山川の行方を尋ねると共に、その行方を探して出勤させるよう勧めたが、右当日、真実原告山川が欠勤したために電信課の業務に差支えが生じたならば、課長としては、係員と共に、原告山川の自宅に赴いてその行方を尋ねるようなことはせず、右係員や課長自から、右電信課の業務の遂行に当るべきであつて、このような措置をとらず、前記の如く今井課長らがわざわざ原告山川の自宅に赴いたことは、とりも直さず、原告山川が右五月二二日に欠勤しても、その業務の正常な運営を妨げる事情はなかつたことに外ならないこと、

以上の事実が認められる。

(4) してみれば、原告山川が年休の時季として指定した昭和五三年五月二二日は、同原告が年休をとつても、被告の大阪北地区管理部電信課の業務の正常な運営が妨げられる事情はなかつたものというべきであるから、仮に、右五月二二日を年休とする時季指定に対し、時季変更権の行使がなされたとしても、右権利行使は無効というべきである。したがつて、右五月二二日については、原告山川の年休が有効に成立したものというべきである。

3  次に、被告は、原告らの本件各年休の時季指定は、原告らにおいて、昭和五三年五月二〇日の成田空港の開港に反対する現地闘争に参加するためになしたものであつて、年休制度の趣旨、目的に反する反社会的行為を行なうために年休を利用しようとするものであり、被告公社の職員に要請される誠実、配慮の義務に違反するものであるとか、その他種々の事情をあげて、原告らの本件各年休の時季指定は、権利の濫用であつて無効であると主張しているので、以下この点について判断する。

(一)  <証拠略>を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(1) 我が国の政府は、かねてから成田空港(新東京国際空港)の建設を進め、昭和五三年三月にはその第一期工事が完成し、同月三〇日にその開港をすることになつたところ、右成田空港の建設に反対する過激派を含む反対派により、同年三月二六日、千葉県成田市三里塚の現地において、開港を阻止するための激しい反対闘争が行なわれ、管制塔の設備等が破壊されたため、右三月三〇日の開港は延期されたこと、

(2) そして、右反対闘争においては、警備に当つていた多数の警察官に対し、火炎びんや石塊を投げつけ、鉄パイプで殴ぐりかかる等の反社会的な行為が行なわれ、火炎びんの使用等の処罰に関する法律違反、兇器準備集合罪、公務執行妨害罪、傷害等の各罪により、多数の者が逮捕されたところ、右逮捕者のなかには、被告公社の職員も五名含まれており、社会から批判を受けたこと、

(3) 右成田空港は、その後修復の上、昭和五三年五月二〇日に開港されることとなつたが、右五月二〇日の開港についても、過激派を含む反対派により、開港を阻止するための激しい反対闘争が計画されていたこと、

(4) そこで、被告公社の近畿電気通信局では、内閣官房長官や被告公社の副総裁の通達や指示に基づき、管内の被告公社の職員が、右成田空港の開港に反対する現地闘争に参加することのないようにするため、服務規律の厳正化をはかり、五月二〇日前後の年休の時季指定については、厳しくこれを規制することとし、その旨管内電報電話局等に指示したこと、

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  ところで、原告らが、昭和五三年五月二〇日の成田空港の開港に反対する現地闘争に参加するため、同年五月一八日、一九日、二二日を年休とする本件各年休の時季指定をしたことを認め得る的確な証拠はないし、また、原告らが、現実に、右成田空港の開港に反対するための現地闘争に参加して、反社会的な行為を行なつたことを認め得る的確な証拠もない。

却つて、前記2に認定した事実に、<証拠略>によれば、原告らの上司は、いずれも、原告らは、本件各年休の時季として指定した日に、前記成田空港の開港に反対する現地闘争に参加する虞れがあると考え、専らこれを理由として、右年休の取得を拒否したのであつて、当時原告らが必ず右現地闘争に参加するとまでは考えていなかつたことが認められる。

(三)  次に労働者の年次有給休暇の権利は、労基法三九条一、二項所定の要件の充足により、法律上当然に労働者について生ずるものであつて、その具体的な権利行使にあたつても、年次有給休暇の成立要件として、「使用者の承認」という観念を容れる余地はなく、また年次有給休暇の使用目的については、労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由であるというのが法の趣旨であると解するのが相当であり(最高裁判所昭和四八年三月二日判決民集二七巻二号二一〇頁参照)、また<証拠略>によれば、被告と全国電気通信労働組合との間の年次有給休暇に関する協約とその際の確認事項においても同趣旨の取決めが為されていることが認められる。

(四)  そうだとすれば、本件各年休は、原告らがその時季を指定したことにより当然に成立したものというべきであり、また、原告らが本件各年休をどのように使用するかは、原告らの全く自由に委ねられているのであつて、被告がその利用について干渉をすることは許されず、いわんや原告らにその利用目的を問い正し、右利用目的の如何によつて、承認を与えるというような関係にはないし、さらに、原告らが前述の成田空港の開港に反対する現地闘争に参加する虞れがあるからといつて、必ずしも現地闘争に参加するとは限らない上、仮に参加したとしても、反社会的な行為をするとは断定し難いのであるから、原告らが右現地闘争に参加する虞れがあることのみを理由に、その年休の成立を否定することはできないものというべきである。もし被告において、原告らが、本件各年休を利用し、成田空港の開港に反対する現地闘争に参加して反社会的な行なう虞れがあると判断したならば、被告としては、原告らに反社会的な行為を行なわないように説得に努めるべきであり、かつ、それが被告のなし得る限度であつて、それ以上に、原告らが年休の時季指定をして欠勤をしたからといつて、年休の成立を否定し、これを無断欠勤として扱うことはできないのである。そして、仮に、原告らが、右被告の説得に従わず、その取得した年休を利用して反社会的な行為を行なつたならば、その時にはじめて右反社会的な行為を行なつたことを理由に、懲戒処分をなし得ることがあるに過ぎないというべきである。

(五)  してみれば、前記(一)に認定した諸事情の外、原告らが当時成田空港の開港に反対する現地闘争に参加する虞れがあつたとか、被告主張の被告公社職員の特質等を考慮してみても、原告らの本件各年休の時季指定は、労基法上原告らに与えられた正当な権利行為というべきであつて、権利の濫用とは到底認め難く、他に右権利濫用の事実を認め得る証拠はないから、右時季指定が権利の濫用であるとの被告の主張は失当である。

4  したがつて、原告らが前記二に記載の各一日につき無断欠勤したことを理由とする本件各戒告処分及び本件各賃金カツトは、その余の点を判断するまでもなく、無効であり、被告は、未払賃金として、原告新井に対し、本件各賃金カツト分の金員である金五六六七円、原告奥に対し同じく金六八五六円、原告山川に対し同じく金五一〇三円、原告山崎に対し同じく金四八七九円、及び右各金員に対するその支払期後で本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五三年一〇月二〇日から右支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があるというべきである。

四  次に、本件においては、労基法一一四条により、被告に対し、前記未払賃金と同額の附加金の支払を命ずるのが相当であるところ、原告らは、右附加金についても訴状送達の翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金をも請求しているが、右附加金は、本判決の確定により初めて発生する権利であり、かつ、右確定と同時に履行すべきものであるから、それ以前は、履行遅滞の生ずる余地はない。したがつて、右附加金に対する本件訴状送達の翌日から本判決確定までの遅延損害金の支払を求める原告らの請求部分は失当である。

五  よつて、原告らの本訴各請求は、原告奥、同山崎、同山川と被告との間において、本件各戒告処分の無効確認、及び、原告らが被告に対し、主文第二項記載の金員の支払を求める限度でいずれも理由があるから右限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、なお、仮執行の免脱宣言を付することは相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 後藤勇 千徳輝夫 小宮山茂樹)

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